能持院 由緒・沿革

曹洞宗 常恒会地

茂木氏の祖八田知家の三男知基が建久3年(1192)茂木に住み、茂木家の祖となる。能持院は知基により貞応元年(1222)に創建され、文明3年(1471)11代領主上総介戸知持の代わりに小田原海蔵寺の僧、模堂永範大和尚により中興開山され、文禄4年(1595)17代領主筑後守治良常陸小川城へ移されるまで代々菩提寺にしたと伝えられる。その後、慶長15年(1610)細川玄蕃頭興元公が茂木10154石に封ぜられてからは9代領主興貫公に至るまで細川氏の菩提寺となっていた。この間2回の火災に遭い伽藍を焼失したが、幸い総門(山門)は難を免れ中興開山当初の姿を今に留めている。

総門(山門)

■建坪9.18平方メートル
■木造四脚門 単屋 切妻造茅葺
■昭和33年8月29日、
 栃木県指定建造物重要文化財となる。

細川氏累代墓所

■324.7平方メートル
■墓標杉13本 ■石灯籠13基
■昭和51年4月13日、
 栃木県指定史跡重要文化財となる。

茂木城主細川氏は初代興元から以後明治に至るまでこの寺を菩提所とした。
この墓所が通常の墓と異なることは、墓石を設けずに墓標として1霊ごとに1本の杉を植え、廟の前に没年月日を陰刻した石燈籠を設けていることである。これは墓制史上、きわめて異例であり他に類例を見ない。老杉はありふれた墓石とは趣を異にして荘厳であり、いかにも禅寺の墓所にふさわしく細川家の威容をしのばせている。
墓所内には宝篋印塔1基と石燈籠13基が存し、いずれも没年銘があるので、これが江戸時代における石造美術研究上きわめて貴重な資料といえる。